四国霊場八十八ヶ所マラニック、阿波国編もついにラスト。徳島最後の札所、薬王寺を打ってきました。今回はシンプルです。
私もるーさんも北海道マラソン出走で、Reiさんが気を遣って遍路マラニックは5/1以降おやすみにしてくれていました。久々の遍路です。
計画
前回の終着点22番札所平等寺から23番薬王寺までは最短で約20キロ。歩き遍路道としては、国道沿いの山ルートと海沿いルートがあるんですが、まず国道沿いルートで薬王寺にアプローチし、余裕があれば海沿いルートを引き返して帰りの電車賃を浮かせる計画で臨みました。るーさんは農作業があってお休みに…まぁあっという間に追いつかれちゃうでしょう。
はじまりはじまり
徳島も南部になると、スタート地点までも遠い…。
朝5時に岡山出発。阿波橘駅近くに駐車し、JRで新野駅に。そこからスタートして一旦平等寺に向かいます。
今回のギアはこんな感じ。完全夏仕様ですね。シューズはクッションがヘタってきているホカをやめて新しい方のズムフラ3。私も同様に対暑熱対閃光防御でズムフラ3。
途中の水分補給を考えてハイドレ持参で臨んだんですが、今回も水漏れしており、あえなくユレニクイとPETボトルで出発。
朝からなかなかの暑さですが、真夏よりは随分とマシに。
電車から一緒だった歩き遍路の方を見かけました。このマラニックでは白衣を着たお遍路さんを見かけたら積極的に話しかけてますが、この方は寡黙な雰囲気だったので、とくに話しかけず。何事もバランスバランス。
↑時代の流れ? 仁王門に直貼りでした。Reiさんは湧き水で手を清めたり、写真撮ったり満喫の様子。
さて、一路、薬王寺へ。
雲もありましたが、ほぼ炎天下のお遍路マラニックに。序盤はこんな田園風景と住宅地をのんびりジョグします。
遍路道は、道沿いに昔ながらの石碑がよく立っています。これを見ると、あぁお遍路に戻ってきたな、という気持ちになりますね。
お遍路スタイルのお地蔵さん?も。
次第に道は山がちになっていきます。
途中、少し国道を離れるポイントが。
今回も、遍路道おなじみの「人の庭」っぽいところを通過。
いい雰囲気の小径へ。
大きな杉の木がありました。
こんなサイズ感。広角で撮ってるので歪みまくってますが…。
ここは月夜御水大師(月夜御水庵とも)という空海ゆかりの場所。朽ち果てそうなお堂でした。形あるものはいつか壊れます。
ここを抜けると、また国道に。
しかし、道は狭くなり山深くなります。
こんな看板がたくさん。それは不法投棄の多発地帯であるということ。
残念なことにゴミだらけでしたし、不法投棄と思われる茶色の液体が大量に流れており油が浮いていました。
しばらく走ると広く新しい道に合流します。
ついに「室戸」の文字!高知の気配が!
今回も↑のシールにはお世話になりました。これ見るとほんとホッとします。
要所要所に大きめのステッカー。周りにお遍路さんも近所の人もいないと、これが頼り。地図はあってもどれが正しい道なのかはっきりしないことも多いですからね。
少しだけトレイル。
コケむしていてツルツルでした。
瞑想できそうな雰囲気ですが、今回は山道がごく短かったです。
あっという間に国道へ。
古い道も探せばあるんでしょうが、整備されていないようで、今回はトンネル通過。
こんな遍路小屋がありました。除くと人影。お遍路さんです。
話しかけると、なんと通し打ち=一気に八十八ヶ所回る歩きお遍路さん。50日かけて回るんだとか。聞けば、本職は木版画家だそうで、光と陰の表現を見ながら海ルートに行くそう。
お話好きな方で、いくらでも聴いていたかったんですが、17時に遅刻できないので泣く泣くお別れ。
こんな素敵な絵葉書をいただきました。この土管坂、アドベンチャーランナー北田さんがチタイチで坂ダッシュしていたところですね!
今回の1番の出会いでした。こんな出会いがあるからお遍路はやめられません。
しばらく国道を進むと、小さな集落に出ます。
やっぱり不法投棄への警告が…。
ここが海ルートと国道ルート(山ルート)の分岐点。
すぐ近くに、遍路小屋があります。といっても休校になった小学校を利用させてもらえる豪華な休憩所。福井南小学校跡です。
いわゆる遍路小屋もありますし、
ウォシュレットな清潔トイレも。これはありがたい…。喜多郎のシルクロードが流れてました。気分は西安?
小学校は当時のまま。昭和感のある廊下でした。
整備してくださっている方々もいて、どうぞゆっくり休んでいってください、と声をかけてくださいました。いわゆるお遍路さんスタイルではない我々にも過分のもてなし。頭が下がります。
長いトンネルに差し掛かるところで、トレイルに入ります。文化庁公式ルートにも載ってる安全?なルートのはずなので、そちらへ。
こんなところを入っていきます。道、広そう。
いい雰囲気の山道でした。
夏はトレイルがいいですね。涼しい。
舗装路も終わり、本格的にトレイルに。
所々、主たる遍路道として使われていた名残りかなという跡を見かけます。
今日も今日とて蜘蛛の巣払い…
トンネル開通前は国道だったんでしょうね。こんなハウ○ルの動く城みたいな廃墟も。
今回1番長いトレイルでした。いい気分転換。
国道に出ます。ここから、1番札所前にあったグリーンライン復活!看板にも「お遍路さんの横断に注意」と。ありがたい。
トンネルにも注意看板。お遍路さんを大事にしてくれていますね。
こんなカフェもありました。室戸に向かうツーリスト向けでもあるんでしょうね。
Reiさんの膝が思わしくなく、途中からウォーキングにしました。でも、ゆっくりと下っていくと、ほんのり海の香りを感じ始めます。
自販機が定期的に見つかり、水分の心配はなし。やがて川を越え、
遍路ではおなじみすぎる湧水で手を洗い、
お遍路では有名らしいドライブイン?を通って下っていきます。海賊舟というらしい…
日和佐の町に出ました。
つきました。薬王寺です。今回は決めポーズなし…。
見えるのは本堂じゃなくて仁王門。山腹に見えるのが本堂です。上ります。
ここから33段女厄坂、42段男厄坂が待ち構えます。
上り切ると日和佐の海が見えてきます。気持ちいいですね。
ここの秘仏、薬師如来は本堂が火事になった時、自分で飛んで消失を免れたとか…ええ、はい。もう驚きません。
第23番札所 医王山 無量寿院 薬王寺
(いおうざん むりょうじゅいん やくおうじ)
打ちました。
弘法大師の1200年記念カードみたいなコレクターズアイテムは配布期間が終了しており、今回はミニカードをいただけました。流れるような筆の動きに今回も目を奪われます。ツアー客のみなさんの納経帳が山積みになってましたが、ツアーの方はこの筆を見ずに納経帳だけ受取るのかな。なんともったいない。よくお礼をいって納経所をあとにします。
これで徳島の札所はすべて打ったことに。達成感とともに、もうお遍路の1/4が終わってしまったんだという寂しさも。
次は修行の道場、高知への道。目指すは24番札所、最御崎寺(ほつみさきじ)です。ルート次第で77〜90km。じっくり計画せねば。
今回通れなかった海ルートは、るーさんに任せるとしましょう。
今日は流石に汗だくなので、あの番組で出川哲郎が立ち寄っていた「あせび温泉やすらぎの里」へ。ここ、公営なので500円で設備しっかり。ガッツリアイシングできました。
距離は短い遍路でしたがリカバリー飯、今回は「びんび家」。25年ぶりくらいにきましたが、やはり味噌汁が絶品でした。これぞ鳴門ワカメ!堪能して、しばらく徳島とはお別れです。
おっさんのごたく
今回も走りながらいろいろ考えたことを書き残しておきます。
この八十八ヶ所マラニックをスタートした時は、お遍路さんが空海の足跡を辿るものということも知らずに走り始めました。
空海が真言宗の開祖とは知っていたものの、それ以上のことには興味すらなし。なんとも適当にスタートしたものです。
空海の教えって密教というそうですね。顕教に対して密教。顕教が仏教の教えを明示する言葉によっていたのに対して、密教ではそれが秘されているんだとか。受験生にはおなじみの「てんさいのしんくう」、天台宗の最澄、真言宗の空海ペアが伝えた、というあれですね。
これって、誤解を恐れずに言えば今でいう新興宗教だったのかなと思います。新しく伝わったものですから。でもそういうと、あまり良い印象を持たれないかも知れませんね。
でも、あのキリストだってローマでは新興宗教として迫害にあったわけですし、どんな宗教もはじめは受け入れられない時期、新興宗教だった時期があったはず。
それでも時を経て、人から信じられる存在、拠り所となる存在になっている。空海にもそんな時期があったのではないか。そんなことを考えながらのランになりました。
密教。教えがストレートに言葉で表されない新しい仏教、真言宗は仏教の中では中後期の宗派。それがなぜ、いかにしてこの地で受け入れられていったんだろう。
「…衆生を救済し幸せにすること(利他行・りたぎょう)を考える実践的な宗派」
利他行なるものの本質的な意味合いについてはわかりません。しかし、文字通りに捉えるなら利他的な行動、ということでしょうか。
あくまで推測の域を出ませんが、空海の教えが利他的行動として信徒に広がってゆき、その人の行動に触れ、見聞きしてそれを認めていったとしたら。そんな出会いが人に「新興」な教えを認めさせ、信心を持つようになったと考えるのは行きすぎた想像でしょうか。
それは、私たちがこの遍路道で受けた様々な親切や励ましに表れていると感じたからです。利他的行動が浸透し、お接待文化まで高められたのだとしたら。それは人の心を打つに違いありませんね。
もちろん、世界を説明し、生死を意義づける高い宗教性もあることでしょう。それもさることながら、教師(仏教ならお坊さんのこと)のみならず信徒たちからも伝わる無私の行動が、新しい宗派としての真言宗を、時を経て土着の宗教たらしめる基盤だったのではないかと思います。
その遍路をマラニックとして楽しんでいます。ベースはマラソン。マラソンってマラソンブームなんて言われ方もしますが、市民ランナーや都市型マラソン大会などは、まだまだ新しい文化。歴史は浅く、広く受け入れられたものとまでは言えないのではないかと思います。
2020年代を象徴する流行病禍にあってマラソン大会やランニングそれ自体が科学的根拠もなく、いや誤った科学的根拠づけまでされて非難されたことは、記憶に新しい、むしろその最中かも知れません。
そんな状況下にあって、市民ランナーとして大会を楽しむ我々は、ただ楽しむだけでいいのだろうかと考えさせられることがあります。
もちろん、マラソンそれ自体が持つ高い競技性、トップアスリートの記録や成績は人の心を打ちます。しかし、それだけを錦の御旗に交通規制をかけて大会を開き、お祭り騒ぎをしていてよいのか。
単に健康になるとか、経済効果があるなんていう理由づけも可能ですが、それで100年、200年後にマラソンは文化として一定の位置を占めているんだろうか、我々が味わっている深い感動を多くの人と共有できているんだろうか。そんな風に考えたりします。
過日、北海道マラソン2022にて「不正ランナー」という言葉がTwitter中心に大きく取り上げられました。ショートカットで順位を上げる有名?ランナーが特定され、騒ぎになったようです。(以前から新川通をショートカットするランナーは多数存在したようで、今回も彼1人ではないようですが。)
これは、新興宗教の信徒が賽銭をくすねているようなものかもしれません。そんな信徒がいれば、その宗派がどれほど素晴らしくても、その教え自体に対して疑義が生じるかも知れない。信じることが難しくなるでしょう。
その一方で、私自身が体験したこと。フィニッシュ間際に熱中症で倒れた私を助け、救護を呼んでくださり、そのまま立ち去ったランナーの存在。それは宗派になぞらえれば、信徒同士の助け合いのような行為でしょうか。それは当たり前に見えるかも知れませんが、それでもこの経験を話すと走らない人でも感心してくれます。
空海が1200年を経てなお人を惹きつけ、文化を作り、心の拠り所となっているように、マラソンが今後も一つの文化として位置を占めるには。
そのためには、やはりランナーの振る舞いといったものが大きく影響するのではないかなと感じます。
単に競技として洗練し、多くの人が好成績を収めていくことも大切ですが、他方、競技を超えて、人の心を打つ行動で、走らない人にも気持ちのいい空気を送り続けていく必要があるのではないか、と。
交通法規を遵守したり、マナーよく走ったりすることも当然ですし、それ以上にランナーが一目置かれる存在となれるよう、様々な点で努力していこうと襟を正すような気持ちになれました。
今回は25キロほどと短い距離にはなりましたが、その道中でいろいろ思索を巡らせることができました。このお遍路という「仕掛け」を、まだしばらく楽しみたいと思います。