2点、道マラについて書き残しておきます。
気温のことと、恩人のこと。
気温変化について
まず気温のこと。公式記録集が届き、気になる点があったのでまとめます。
公式記録集にある気温推移と気象庁による札幌市の当日の気温推移です。
これを比べると、札幌市の気温(アメダス?)はほぼ横ばいなのに対し、公式記録集の気温推移は15km〜30km地点で高いんですね。そして、先頭フィニッシュまでの推移のみ。これはきっと審判車や先導車が測っているんでしょう。
となると、私のランもほぼ同様の気温推移だったはず。(途中、陽が差してきてさらに上がっている可能性大ですが。)
簡単に言うと「曇りの場合(でも)新川通は市内中心部より5度高い可能性がある」
ということでしょうか。
20km〜32kmの給水では、丁寧に水をかぶり、スポドリを飲み、体温を可能な限り下げる工夫が求められるということですね。
逆に言えば場合によっては、それ以外の区間で苦しければ冷却用の水の量を減らす(その代わりに新川通で冷やす)という体力配分も可能かもしれません。
なにより「今の気温はどれくらい?上がってる?下がってる?」という感覚を研ぎ澄ませていくと対応できるかもしれません。これが大切ですね。
これまでも何度も気温変化に気づかず失敗してきました。ランニング中は変化に気づくのはとても難しいわけですが、今回の折り返し付近のムワッとした暑さにはさすがに気づいたんですね。
ただそれを気温上昇と捉えることができず、この体調の変化はなんだろう?で済ませてしまった。気温が5度近く一気上がるとわからないもんですね。
天気予報の気温変化は定点観測。
マラソンの42キロ移動でも気温は変化。
新川通が5度高い可能性も勘案すること。
この反省点。今後の大会に活かしていきたいものです。
相木選手について
道マラ恩人探しについて、みなさんから聞いていただけるのでいきさつを書き留めておきます。
道マラ直後、拡散希望でツイートしたので、大変大勢の方が広めてくださり、もしかして〜では?という情報もDMなどを通じて寄せられました。ありがとうございました。
有力は情報はないままでした。YouTubeの映像などでゴールシーンを探すも見つからず、道新のフィニッシュ動画も今年はないみたいでガッカリ。でも、オールスポーツに期待。高くて買えないオールスポーツの写真サービスですが、確認だけならできそうだし、フィニッシュ地点の写真はあるはず。
果たしてありました!オールスポーツさんの写真で自分のコケてる情けない姿と、コース上で助けてくださろうとしている選手を確認。ゼッケンからはっきりしました。私の朧げな記憶ともやっと一致。間違いありません。
路上で四つん這いになってる写真。コケてすぐ立ち上がって走り出したつもりでしたが、こんなんだったんですね…。
ゴール後にすぐに車いすで運ばれた気がしていましたが、ゲートの左側=進行方向と逆に向いてうなだれているのも確認。その隣に相木選手。救護班を呼び、到着まで一緒にいてくださっていたんですね。
相木選手について、ネットでも探しました。所属がわかるので、そのチームを探したり、会社名を調べたり。できる限り道マラ事務局には頼らないと決めていました。極めて個人的なことですし、本来の業務でないことをお願いするのは最終手段だと。
しかし、一ヶ月が経ち、公式記録集が届いてそこに相木選手の名前を見ます。着順で並んでいるんですね。このことの意味を改めて実感しました。対応してもらえそうなうちに事務局に聞こう。
事務局に問い合わせると、さもそれが当然であるかのように、先方に確認してから折り返し連絡するとのお返事をその場でいただきました。これには驚きました。こんなイレギュラーなお願いにも関わらず、ごく自然に応対していただけたからです。
数日後、事務局からお電話をいただきました。相木選手と連絡がとれ、こちらから直接電話を差し上げてよいとのこと。もちろん、日をおかずに連絡。
電話口の相木選手は、想像通りの穏やかな方で、いろいろと話してくださいました。
すぐ前を走る私はフラッと倒れ、それがゴールゲートの目の前だったので、ここまできてフィニッシュできないともったいない、と思って助けてくださったこと。
それは当たり前のことで、たいしたことはしていないということ。
そして、今後のレース参加についてたずねると、北海道はこれから雪の季節になり、走れなくなるということを教えてくださいました。
北海道に住んでいたので、改めて考えたらよくわかるのですが、アイスバーンの路面でスピ練はできません。圧雪露天でならチョボチョボと走れる、かも、くらい。
冬場はランもレースもできない、そんな地域だからこそ、せっかくのレースをフィニッシュしないともったいない。そんな考えができるのかもしれません。レースを大切に走るということをもっと優先して戦略を立てないといけませんね。
貴重な大会、なかでも北海道最大にして最高のレースでタイムの邪魔をしてしまったことを恥じると共に、今後の教訓として胸に刻み、相木選手がしてくださったことの価値を最大限、高めていけたらと思います。